オナハキ赤 |
お慕い申し上げ候。 今ここで僕たちが出会ったといふこと、 この運命の糸は誰にも断ち切れやせず、 どのよふな障害が僕らを襲おうとも、 僕たちは決して離れず。 僕たちは縁と言ふ言葉で結ばれた、ひとつの塊なのだ――――――… 「きゃああぁぁ〜雪絵さん!! どうしましょう!!」 驚きと、そう、それはまるで恐怖に満ちた面相だ。 「げ、げっ原稿が2枚足らないのよ〜〜〜!!」 千鶴子はそう言いながら雪絵の肩を右往左往に揺らした。 「なんですって?! おかしいわ!! ちゃんと面付け分に合わせて枚数は数えておいた筈なのに!!」 女、2人。 夫たちには日本橋の船宿に出かけると、ようやく家を3日空けることが出来たというその夜の晩。 部屋の天井の隙間をぬぐい、ありとあらゆるところに吊るされた麻紐には、幾枚もの藁半紙が吊るされている。 乱れしその後れ毛は夏の風に揺らめき、麻紐に吊るされた藁半紙と同じ風向きへ、ゆらゆらと揺れ・・・。 「いや〜〜〜お千鶴ちゃん! もう間に合わないわ〜〜!!」 悲観に暮れ泣き崩れる雪絵。 そう、間に合うのか? 間に合わぬのか? 「いいえ! お雪ちゃん!! あと残り二枚ならわたくしたちの対談で何とかその場をしのげますわ!! 直接 謄写紙にガリを入れればいいこと!! だからあきらめちゃ駄目なのですわっ!!」 そう明日は。 「ええ、でもわたくし…ここ連日の徹夜で何だか目は霞み、手は震えて何ももう書けないわ・・・・・・」 寝不足のその頭に、この事実はあまりにもショックだ。 雪絵はその目に涙を浮かべ、その場に倒れ付す。 ガリ版の、独特のインク臭。 夏の夜風にはためく、藁半紙。 襷がけした、女2人。 花びらのように舞い散る、謄写紙と威圧感あふれる謄写版。 赤い印紙に隷書体で書かれた、1つのタイトル。 『オナハキ赤』―――――――――― 『メトヲナハトメユ』即売会は、戦後の復興と共にその、一部の婦女子たちの夢と希望を取り戻すかのように 普及した。 その普及率といえば正に神風の如く都内各所に広がった。 そしてこの即売会の名を、間違えても『めとをなはとめゆ』と読んではならない。 『ゆめとはなをとめ』と読むのである。 中でも千鶴子と雪絵が参加を申し込んだ『メトヲナハトメユ』即売会は歴史も古く、その即売会は明治時代より 続く、日本の即売会市場でも尤も由緒正しき即売会であった。 彼女たちの受付番号は『番1之イ』、紛い形にもジャンル的には百夜鬼行の最大大手を張る婦女子たちであった。 無論これも『ばん1のい』と読んではならぬ。 『いの1ばん』と読むのである。 持ち札名は『嵐ノ華』。 『あらしのはな』と読まず、『はなのあらし』という。 そしてこの話は、『メトヲナハトメユ』即売会に人生の全てをかける婦女子2名の、書くも悲しき、語るも空し き、即売会前夜から当日にかけての話である。 実は彼女たちの出会いは古い。 それは女学校時代に遡る。 当時は戦争などの影響により、娯楽が少なかった。 しかし…若きヲトメの妄想は果てしなく、それはお国の現実などとは間違っても比例したものではない方向へ進 んでいった。 いや、その歴史がこの日本国になかった訳ではない。 むしろ以前、しかも戦国時代にさかのぼる頃より、その歴史はあった。 昔はよくあった、当然のように行われていた行為に、かの婦女子たちは心ときめかせているのだ。 しかしそれは、女の身であるヲトメたちには程遠く、想像もつかぬ世界。 ヲトメのユメ。 ヲトメのフアンタヂイ。 ぶっちゃけ、『男同士禁断の恋』の世界のことである。 しかも、彼女たちはそのネタを、リアリテイ溢れる本能で書き記すのだ。 千鶴子は得意の綴り方で。 雪絵は得意の絵版画で。 持ちネタは有り余るほどある。 何せ彼女たちの夫が、その身の知らぬところの、そのネタの提供者なのだから。 持ちネタはあれどしかし、彼女たちにはそれを書く時間がない。 妻として、同人ヲトメとして、彼女たちはしっかりとその一面をフオロオしているからだ。 どちらも疎かにしない、どちらもソツなくこなしていく。 無論、後者は夫たちには秘密に。 夜も更けて、尚も日本橋の船宿に奇声が響き渡る。 彼女たちを運ぶ船頭は、この会話を聞かなかった、この現状を見なかったことにする、言わば壁のような空気の ような存在のエキスパアトだ。 船はそのまま明日、都内のとある所まで彼女たちを運んでくれる。 船の船頭は例え都内の何処かで彼女たちをもう一度見かけても、今日のこの日にあった事を、何も見なかった・ 聞かなかった振りをするだろう。 空が白んだその頃。 すっかり精も根も尽き果てていた雪江に千鶴子の激が飛んだ。 「起きて! 起きるのよお雪ちゃん!! まだ間に合うわ!! 私がガリを刷り上げるから貴方は帳合して製本す るのよ!! 最悪綴じは会場に行ってからでも出来るわ!!」 「ああ〜…お千鶴ちゃん……わたくしの目の前には今大きな岩があって、それをわたくし一生懸命ずらそうとする のだけど、どうも駄目らしいの…わたくしの手はその重さに耐えかねて打ち振るえ、この身は今正に息絶えようと しているのよ…ああ……ごめんなさいましお千鶴ちゃん、わたくし目の前がもう真っ暗で…ああ、心残りは『扇様』 と『付箋様』の新刊をこの手にすることが出来なかったことで御座いますわ…ああ……どうかお願いよお千鶴ちゃ ん、わたくしの墓前にはお二方の新刊を供えて下さいましね。そしてわたくしは今……」 いい加減、人というものは寝なくなるとこの世のものでは在らぬ幻聴や幻影を己から見出すものである。 世の中に不思議なことなんてないのだよby京極堂。 京極堂自身、こんな事にこの言葉を引用されるのは不本意だろうが。 しかし。 「そんなこと! お雪ちゃん前回は大きな白い紙が襲って来たのでしょう! それに包まれて息も出来ぬほど苦し かったと…!! それでも生きていたのだからそれくらいでは死にやしないわ!!」 千鶴子の即売会にかける情熱は、恐ろしいものである。 雪絵はその夫に似てか、意外と楽天家。 この二人が書き綴った今回の同人誌は、今でいう夏コミの新刊。 そして船で辿り着くのは有明。 何れの時代の同人ヲトメたちも、その姿を変えることはない(苦笑)。 「ああ、ほらお雪ちゃん! 貴方宛てのフアンレタアよ!! これをもう一度読みかえして鋭気を養うのよ!!」 そう言いながら今にも溢れ出しそうな、蓋の閉まらぬ文箱を雪江に手渡す。 雪江は何とかそのか細い手で文をひとつ手にした。 「ああ、わたくし…なんと意気地なしなのでしょう。貴方方のためにがんばりますわね…」 目頭に涙を浮かべて文を広げる。 「何々…『1月に申し込みました次回新刊『オナハキ赤』がまだ手元に届いておりません。もしや事故かと思ひ …』…ひっ………ひっ…ひぃぃぃぃぃぃっっ!! こここここれは!!」 雪江は今にも卒倒しそうな声を上げて打ち震える。 千鶴子、痛恨のミス、最大の失態である。 彼女がこの場に持ってきたのは未処理の通販処理分の手紙であったのだ。 「なんてこと! まあいいわ、このまま会場から直接新刊を送りましょう!」 千鶴子はそんな小さな失態でめげるほど、心がか可弱く出来ていない。 むしろその作りは、京極堂の、あの中尊寺の妻の地位にあるということだけで明確である。 「さあ、お雪ちゃん! これを飲んで!! もう出来上がるわ!! そしたらお化粧してしゃなりしゃなりと美し く着飾って会場入りですわよ」 千鶴子のその、絶えることない鋭気は一体何処から沸いて出てくるのだろう。 雪江は襲い来る眩暈に、千鶴子特製の怪しげな気付け薬を一気飲みして、小さなため息をついた。 会場では押しも押されぬ同人ヲトメたちの長蛇の列が連なった。 最後尾を記す札は今や彼女たちの目に留まる位置にはない。 彼女たちの書く、官能的で優美なストオリ展開は、その世代のヲトメのみならず、ヲトコどもも虜にしているの だ。 「雪江先生! 握手してください! まあこんな白魚のようなお手々であのように写実的で官能的な絵画を!!」 「千鶴子先生!! この本にサインを!!」 等等等……。 波に呑まれるように押し寄せる人の群れに、彼女たちはこの昨夜の徹夜を押してまでも、あくまで清楚に、あく まで淑やかな人妻の貞淑さを持って対応する。 「本日はごめん下さいましね、長い列ですのでこちらでは握手のみ、サインはいたせませんお約束ですのよ。また 来月の地方周りの際に是非ともサインさせていただきますわね」 『メトヲナハトメユ』準備会の「早く売れ!」という目線を尻目に、ひとりひとり丁寧なお礼だのお断りだのを 述べている2人。 これでもかというくらいに押し寄せた人のせいで、新刊は瞬く間に売れ切れ御免のお札を掲げることになったので ある。 お知らせ 本日のご足労、御礼申し上げます。 本日、番1之イ、「嵐ノ華」新刊『オナハキ赤』は完売いたしました。 次回の即売会まで再販は予定いたしておりません。 ご購入の際は次回同人誌即売会参加予定『大阪中ノ島公会堂』まで お待ち下さいますよう、お願い申し上げます。 嵐ノ華 中禅寺 千鶴子 ・ 関口 雪江 ひらひらとはためくその紙を、2人の婦女子は満足げに見つめた。 「もう、夏も終わりですわね千鶴子さん…」 「ええ、本当に。今年の夏も得るものが多く御座いましたわね」 この日が終れば、兵…基、同人家の夏が終る。 涼しげな一重の時期もそろそろ過ぎゆくのだ。 千鶴子は真っ白い一重の袖口に刺繍された蓮花をすっとなぞった。 「次の新刊は…いかがいたしましょうかね。雪江さん」 雪江も青い一重の袂を押さえて頷く。 「ええ、次はそうね…パロデエものなんていかがかしら?」 はたから見れば貞淑な妻たちが夏の名残を惜しむかのように夕日空を見上げて見えるそれも、その実を知って しまっては笑えない。 「そうですわね、夫の書斎から何かひとつ、ネタになりそうなものを探しておきましょう」 「そうだわ、お千鶴ちゃん。日本橋の紙問屋に寄っていいかしら?」 「ええ、構わなくてよ。次の新刊用の千代紙も買い足さないとね。ああ、それから次回配布分のお知らせ用の紙 も何か可愛らしいものを…」 そうして2人はその会場を後にしたのである。 自虐性が強いため、今回はこの当たりで終わろうかと思う。 最初にUPする京極堂の話がこれでいいのか、いまだに俺は悩んでいる。 -おしまい- 加筆修正 2007.7.20 |
書きながらあまりの痛さに溜息を何度ついたことか。 よく有りがちなネタなので、ただ、ただ笑っていただければ幸いです。 …記念すべき京極堂話がこれじゃあ、涙も出るというものです。 by KY |