解夏




 ぼんやりとした光を放ち浮かぶ灯篭。

 それと同じくして赤い堤燈と色取り取りの和紙で作られた青竹飾りや五色の短冊が川面に揺らめいて

いる。

 今宵の天漢はその座を川に譲ったようで夜空に星の道はなく、どこまでも闇の色を体していた。

 この川で上がる花火は戦没者を供養するためのものなのだそうだ。

 それらの行事を後目に旧暦でいう八月、死人の魂を乗せているという篭が地上の天を下る。

 川面に浮かぶ、灯篭、笹船、青竹飾り。

 いとおしげに灯篭を抱いた女性が、川岸でそっと灯篭を手放すところを眺める僕はさしずめ傍観者で

あり。

「すっかり見世物だ…」

 京極堂が呟く。

「そうだね」

 僕は静かに頷いた。

 年寄りの冷や水のような一言はやがて胡乱な会話へ繋がるはずだが、先日からの疲れか今日の僕には

そんな余力もなく、離れた世界を遠目から見物する。

 渦中の人たちから見れば僕等は他人に等しく。

 小さな蝋燭の明かりが遥か下流に流れていくまで見守る渦中人の後姿は、どこか儚い。

「古代より天の川のことを死者の通る道とたとえた民族は多いのだよ」

 心を察したのか、京極堂が川面に浮かぶ光を見つめながら呟いた。

「今宵の夜空に星はないが…。星の瞬きと、蝋燭の炎が揺れるのは似ていると思わないかね」

 僅かの光りが眩く揺らめくその姿。

 僕はじっと灯篭を見つめた。

 川面から湧き上がる露がそう見せている、それを知っているであろう京極堂にしては珍しい言葉を言

うものだと彼の顔を繁々と窺う。

「確かに」

「本来、五色の短冊も夜空ではなく水面で一層と映えるものだ」

 僕は瞑目して先ほどまで夜空にたなびいていたであろう、青竹飾りが揺らめく様を思い浮かべた。

 強い風にその姿を震わせ、たなびいていた和紙飾り。

 青竹につけられた、灯の燈らぬ赤い堤燈。

 思い浮かべたそれは眼底に焼きつくほどどれも鮮やかで。

 和紙の飾りが一時、瑠璃の鳥の羽を思わせた。

 そのあまりの鮮明さに、先日までの騒動を思い出し、僕は我に帰る。

 耳鳴り。

 不安。

 守らねばと思っている最中に、逝ってしまった人。

 在るという意味を何故かと、問うた人。

 耳鳴り、耳鳴り、耳鳴り。

 金属の、鋼の擦れるような声。

 そして耳鳴りがまた聞こえて。

 いや、今でも聞こえるような。

 あの時の全てが一瞬、走馬燈のように。

 一時鋼で傷付けられた僕の思考は止まってしまい……。

「関口君、もう夏も終りだよ」

 静かにそう言った京極堂を、僕は縋るように見上げた。

「ああ……」

 頬に伝う温かいもの。

 それが涙だと。

「死の意味を知らず罪を犯した人に僕は…」

 僕は誰にも聞こえないだろう声で呟いた。

 人間は人間を救えない。

 神も仏も嘘っぱちだといった京極堂。

 そうだ、結局、自分という生き物は誰にも何も出来ない、そんな人間だ。

 誰の役にも、自分の役すら立たない、そんな生き物だ。

 京極堂から目をそむけて川面を見つめるも、また、青竹に纏わる和紙飾りが鳥の羽のように見え、

僕は息を飲む。

 無い人は、何処へたどり着くのだろうか。

 どうなってしまうのか、知れぬ恐怖。

 古来から生きとし生けるものが持つ、見えぬ恐怖。

「それでも君はそうすることで、恩恵を知ることが出来た」

 あの夏を乗り越えて、その重たさを知ることが出来た。

 人間は人間である間、決して死について不可避にして不可知であり、真相を知ることは出来な

いが。

 その中でその重さ、その内からあふれくる存在を知ることが出来る。

 終りとはじまりは常に一対であり。

 悪意など無くても、悪人などがいなくても、悲しい出来事が起きて。

 それでも僕がここに在るのだと、知った。

 僕はその名を呼んで、その肩に縋って嗚咽した。

 君はいつも僕を、君こそが知っているはず。

「関口君、誰も君のことを責めやしない。然……、あのことは君が一番知っているんだよ」

 誰も君を責めてなどいないのだよ。

 灯篭の明かり、赤い堤燈、色取り取りの和紙飾り、五色の短冊が――――――…、

 さらさらと流れやがてたどり着く大海に向かうため、天を下っていく。





 人生 離別無くんば

 誰が恩愛の重きを知らん





 2003.8.8 up


 加筆修正 2007.7.20








 解夏、ほどけるなつではなく「げげ」と読みます。

 実を言うとからさわの住む街では現在、灯篭流しも青竹飾り流しもいたしません。

 が、小さな頃に見たあの光景を忘れることができません。

 そして矩巳の住む街では灯篭流しと青竹流しが同時に行われているそうです。

 灯篭の灯は儚く、色取り取りの七夕飾りと入り乱れ、川を下っていくそうです。

 七夕流し、灯篭流しも夏の終わり、秋の行事。