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水 ぞ 降 る 雪 □








 春の初めの海。

 空は明るいけれど、海風はどことなく冷たいまま。

「サル、本馬鹿! 僕は寒いぞ!」

 学ラン姿の榎木津先輩はそう言って僕と中禅寺をじっと睨んだ。

「堪え性のない…。疲れたのなら先に旅館に行きたいと、そう言えばいいでしょう榎木津さん」

 書生のような着物姿で浜辺を歩いている中禅寺は、がなる榎木津を冷ややかな眼差しで一瞥する。

「分かればいいんだ本馬鹿! そんなわけだから俺は先に旅館に行って一ッ風呂浴びている。二人とも

夕食までには戻って来い! その前までは戻ってこなくていい!」

 それだけ言い残して、今来た道を戻っていく。

 僕は呆気に摂られるよう、そんな榎木津先輩を見送った。

「…関口君、身体は大丈夫かね?」

 数日前まで身体を起こすことすら億劫だった僕を、静養だといって連れ出してくれた中禅寺と榎木津

先輩。

 なんだろう、腫れ物を扱うようにでもないけれど、いつもよりも気を遣われているのはこの中禅寺の

言動でも気取れてしまう。

「あ、ああ。平気だけど…君も寒いんじゃないかい?」

 そして寒いという理由で、この散歩を中座し、中禅寺に睨まれた榎木津先輩には大変申し訳ないが、

この浜辺を歩きたいといったのは僕の方なのだ。

「学生服よりも着物は暖かいさ」

「そうか」

 僕は笑うでもなく中善寺を見た。

「もう少し歩いたら、旅館に戻ろう」

 中禅寺の言葉に頷くと、再び歩き始める。

 海を見つめ、ただ歩く。

 僕は海に入るのは嫌いだけど、海を見るのは好きだから、少しだけ心が落ち着いた。

 波頭が打ち寄せ、崩れ、引く様を見る。

 この辺りで引き返せば余裕で夕食に間に合うだろう、と、僕は呟く。

「この辺りで引き返そうか」

 静かにそう言った僕に、中禅寺が呟いた。

「もう少し、ここにいないかね?」

「…いいけど、榎木津さんは」

「大丈夫だ、あの人なら風呂に入ってひと寝入りしているだろう」

 そう言って僕の手を引くとその場に腰を下ろす。

 一瞬、ずるりと砂が沈んだ。

 久しぶりの砂の感触に、背筋が身の毛立つ。

 なんで、この感触が嫌いなんだろう。

 最近頓に、この感触が嫌いになった。

 海を見るのは好きなのに…。

 春の夕日の日差しは、それでも海辺のものだからだろうか、妙に強い。

 波音が耳を掠めていく。

「…風花だ」

 中禅寺が呟いた。

 空は夕焼け空なのに、仄白い雪が舞っている。

 仄白い、花弁の様に。

 花弁は一枚、また一枚、海水に落ちていく。

 落ちればすぐに、消えてしまう。

 砂浜に落ちる花弁も、一枚、また一枚と消えていく。

「すぐに消えてしまって、儚いものだね…」

 僕はそう呟いて、舞い落ちる花弁に手を伸ばす。

 触れればすぐに消えてしまう。

「関口君、そう喩えるならもっと御誂えの言葉がある。「水ぞ降る雪」、水に音もなく降っては消えて

いく雪の儚さを表す言葉で、よく俳句や短歌に使われる言葉だ。歌と
しては閑吟集の『水に降る雪 し

ろふはいはじ きえきゆるとも
』が
最も有名な言葉だろうね」

 中禅寺の淡々とした言葉になんと言っていいか分からず、僕ははにかんだ。

「君は本当に物知りだね」

 風雅な言葉を沢山知っている。

 優しくて、静かな言葉も沢山知っている。

「知っているのではない、見知っているんだよ」

 その年で一体どれだけの知識を身に付けているんだろう。

 見知ってるなんて言われてもぴんとこないけれど、それってどんな書物でも、流し読んでいて、それ

を記憶してるってことなのかな。

「僕なんかとは比べ物にならないくらい物知りだよ、君は。その言葉の意味だって…

僕にはわからないし…」

 そう言って中禅寺を見ると首を傾げた。

「水に降る雪はすぐに消えてゆく、はかない恋にこがれていても、決して明らかにしない 私の秘め事」

 中禅寺はそれだけ言って、僕から全ての視界を遮った。

 そっと触れて離れるだけの、甘く、密やかな時間。

「中禅寺…」

 僕はなんと言っていいか分からず、とりあえずその名を呼んでみた。

「帰ろうか」

 中禅寺は何事もなかったように、立ち上がる。

 僕もそれに続いて立ち上がった。

 黙ってその手を差し伸べられ、僕も黙ってその手を受ける。

 風花の中、手を繋いで来た道を静かに戻る。

 僕は何故か、涙を流している。

 先ほどの温もりが、嬉しいのか、悲しいのか。

 それから数年後。

 あれから時代は変わり、今も時々。

 あの、そっと触れて離れるだけの、甘く、密やかな時間を思い出す。

「全てが今更だろうけど…」

 春の風花が舞う季節。

「僕は君が好きだったんだよ、京極堂…」

 水ぞ降る雪、水ぞ降る雪。

 どれほど想っても、積もりはせぬ。

 独り貴方を想って泣きましょう。

 水ぞ降る雪、今は届かぬ貴方にも、積もらぬ想いを降らせましょう。

 私の涙を、ただ、深々と。


 2004.4.2up


 加筆修正 2007.7.20








閑吟集248


水に降る雪 しろふはいはじ きえきゆるとも


水ぞ降る雪、好きな言葉です。

詮無いことの喩えでここまで美しい言葉、

それを題材にしてみましたが、如何せん。

俺では文才が足らなかったようです。

次はもう少し、流れるような文面でチャレンジしてみたい…

(↑リベンジ予告…いつになることやら・苦笑)