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水無月 初夏の頃。 梅雨の影響で重かった頭が何とか軽く思えるようになって、僕はあの坂道を登る。 目指す看板が見えてひとつ、大きく息をつくと、全ての勇気を振り絞ってその扉を開け る。 静まり返る店内の番台に陣取って、本を読む男がいる。 男はそっと面を上げ、小さく頷いた。 これが挨拶の代わり。 そのまま目線を本に戻してしまう、その間、たったの数秒間。 僕は緊張気味に男の姿を見つめる。 何か気の聞いたことを言ってみようと辺りを見渡し、会話のネタになるものを探した。 番台に置かれた一輪挿しに、濃い青の鉄線が一輪。 僕はそれを見て呟いた。 「綺麗な鉄線だね」 男は僕の言葉に面を上げると一瞬だけ鉄線を見る、そして、その眼差しが僕に向けられ た。 本を読んでいるわけでもないのに、今度は僕が俯いた。 いきなり見ないでほしい。 本当に、心臓に悪い。 つい先日、この男の口から信じられない言葉を聞いたものだから、変に緊張してしまう。 先日、梅雨明けの日。 僕はこの男から嘘なのか本当なのか、それすら分からない、意外な一言を告げられて、 その言葉を受け入れたんだ。 それを思うとその言葉が、嘘なのか本当なのか分からないで、余計に変な気拙さを覚えた り、そのくせに、変な期待を抱いてしまう。 そう、何で、こんな不遜で寡黙な男を好きになったのか、自分でも分からない。 「欲しければもって帰ると良い…」 素っ気無いが、この男からすれば何気ない一言なのかもしれない。 そう、素っ気無く、ともすれば冷たく思えてしまうその言葉。 僕の心は何かにちくりと刺された気分になる。 それでも多少の無理強いをしてその言葉に僕は頷くと、面を上げた。 真直ぐ男の顔を見る。 だけど、見る間に視界が霞む。 涙が溢れる。 僕はまた、泣いている。 男の言う言葉が、嘘なのか、本当なのか、分からないからだ。 その言葉も、先日の言葉も、今、この時さえも。 その態度で、その言葉と節々で、いたるところ全てが。 しばらく沈黙が流れ、男が口を開いた。 「何故泣く」 問われた言葉に応えられる言葉が見つからず、息を呑んだ。 涙が止まらない。 「何故…」 男は小さく言うと鉄線の花を手に、僕の側へ。 「遠慮せず、持っていくといい」 僕は膝の上の拳をぐっと握り、小さな嗚咽を漏らした。 何と応えればいい。 何を言えばいい。 こんな時には、この寡黙な男を相手に、何をどう伝えればいいのか、分からない。 「機嫌を直してくれ」 男が囁く。 僕は小さく首を振った。 そうじゃない、気分が悪いわけでも、機嫌が悪いわけでもない。 「なら、泣かないでくれ」 慰めるというよりは、あやす様にそっと肩を抱かれながら囁かれた男の言葉に、僕は何度 も頷いた。 だけど、涙が止まらないのだ。 自分ではどうしたって止められない。 どんなに不遜でも、どれほど寡黙でも、時にはこんなに優しい言葉をくれる男なのに、 こんなに優しく、これほど優しく肩を抱いてくれる男なのに。 「泣かないでくれ、後生だから」 もう一度、男は念を押すように呟いた。 「あの日から君は、どうしてこう」 あの日から、君は泣いてばかりだ。 愛していると伝えたことが悪かったのか。 あの時、私が伝えたあの言葉が、何故、君をこんなに傷付けたのか。 どうしてこんなに傷付けてしまったのか、私には分からない。 私は何をどう考えても、君の涙の理由が分からない。 「関口君、お願いだ」 正直に、お願いするという言葉に泣いていた男は面を上げた。 「不甲斐なくて、すまない」 お願いと許しを乞う言葉を呟いた男が俯く。 この寡黙で不遜な男の言葉とは思えないその言葉に、男は静かに、小さく微笑んだ。 ああ。 この涙のわけが分かった。 止まらぬ涙のわけが、分かった。 そしてこの涙の止め方も。 「信じてくれ、あの言葉は…決して嘘ではないのだから」 あれほどまでに不遜と思った男のその言葉に、僕は静かに、小さく微笑んだ。 そしてただ愛しい男の、その姿を見つめた。 人は人である限り、その人には決してなれない。 だからこそ、信じられるものを求めているのだと。 同じものを見つめられない、だからこそ。 同じことを考えられない、だからこそ。 信じることは難しく、それでも、信じることが大切なのだと。 すっと差し出された鉄線に、男は手を差し伸べた。 2005.6.27up というわけで、SSUPです。 久しぶりなのでSSの書き方を忘れてしまいまして、思うが侭にパツパツと。 6月の梅雨の憂鬱さを思いながら書いたせいなのか、じめじめ、じとじとな感じになった かも。 まあ、これはこれということで。 |