-アフタアケア- |
終戦後、まだ間もない日本。 生きることに一生懸命な頃。 それくらいは榎木津礼二郎とて理解しているつもりだ。 闇雲に働く仕事の後、一眠りしているであろう男を訪ねる。 「木場シュウっ! お〜い! このトーフ男ぉ〜!!」 遠慮なく、いやそもそも遠慮など知らぬのだろう、ガンガンと玄関の扉を叩く。 中からガチャガチャと鍵を開ける音がした。 ガラガラ戸口を開けて、不機嫌そうな表情の木場シュウこと木場修太郎は、彫りが深く均整の取れた端正な ビスクドールの表情を睨む。 ……よくよく日本人離れした顔だ。 「俺は非番明けなんだけどな……エノさん」 その凄味を受けてもなお、榎木津はそのまま土足で入らん勢いで戸口に入り込み、玄関口をガラガラ閉める。 「聞いてくれ! 木場シュウ!! 僕は今日散々な目に遭ったぞ!!」 言うか言い切らぬかで榎木津は、木場を抱き寄せるとその真四角の顔に附属している唇を奪う。 そしてちゃっかりと後ろ手で玄関の鍵をかける。 全く油断のならぬ男である。 木場と言えば、その榎木津の突然の行動に目を白黒させている。 その口付けは深く、木場の力を持ってしても止められない。 手をばたつかせるが、榎木津はなんの、そんなことなど気にしていない。 角度を変え、縺れるように深く貪られるそれは、酔うには充分なほどだ。 ガタイがいいからといって木場を乱暴に扱うわけでもない榎木津は、木場を抱え込んでいた腕の力を抜く。 ようやくこの状態から開放されるのだ。 木場は自分の膝が震えているのを感じた。 そして口付けの後の開口一番は。 「まったく…!」 の一言だった。 何時ものビスクドールに戻ると、木場はその場に経たり込む。 起き抜け、非番明けの木場に今の濃厚な一撃は厳しかったようである。 ふと榎木津が木場を見る。 「ん? どうした? 木場シュ…」 榎木津の一言に意識を取り戻した木場は小さな声で訴える。 「ここでは駄目だと、何時も言っているだろうが……!」 心なしか熱を帯びた眼差しを上目遣いにそう言うと、許可もなく榎木津の手を引き、それを支えに立ち上 がる。 「爺婆が居ないから……よかったようなものの」 榎木津はその木場の表情をじっと見つめる。 そして言った。 「ああ、そうだった。うちの事務所以外では駄目なんだったな、はははははははっ」 さも気にしていない、反省の顔色もないといった風な榎木津は爽やかに微笑んだ。 木場は引き手代わりにしている手を榎木津に返す。 ふわりと、その仕立ての良いスーツからクレゾールの匂いがする。 「…エノさん」 不穏に首を傾げ榎木津を見る。 「一体どうしたってんだ?」 木場は榎木津を見る。 怪我をしているようにも、病気のようにも見えない。 「ああ……。猿が倒れたのだ」 榎木津はそう言うと、ふんっと鼻息を荒く溜息をつく。 「倒れたって、関が? 一体どうしたってぇんだ?」 「何時もの事さ。近頃は、なかったのにな……」 口元に手を当て忌々しげに言い捨てる。 関口は時折酷い状態の鬱病に陥り、失語症や自閉症、拒食症になったりする。 生きる上で死にたくないくせに、いや、死ねないくせに心が根を上げてしまうのだ。 今回のは拒食症による栄養失調によって心臓が衰え、その動きを止めたせいで起きるタイプの失神らしい。 あまりの意識混濁に、医師たちは三環系抗鬱薬のによる薬物の乱用を疑った。 「だがな、そうではなかったらしい」 安堵の表情を浮かべた榎木津の言葉を聞きながら相槌を入れる木場。 「怪我らしい怪我といえば、倒れる時に頭から倒れたんだが大きなタンコブをこさえてな」 「…って、おい大丈夫なのか? 第一あいつはこっちに帰って来てからってーもの……」 玄関の立ち話もどうかと思った木場は榎木津を自分の自室に案内する。 「もう大丈夫だ。彼岸から帰って来ている……だが」 何かを思い出したように「だが」の部分を強く強調した。 思い出してしまった。 いや、この場合己の脳裏を掠めたのだ。 血の気のない白い手が首に絡み付き。 人気色した手は細い身体を抱え込む。 お互いに縋り合い、京極と関口の交わす、貪りあうような接吻を。 「っぅだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜っっ! 全くっっ! あの後輩どもはっっっ!!」 学生時代から、知らぬ中の2人ではない事を自分は知っている。 だが。 あれではまるで、互いが互いなくしては生きて行けぬと言っているような。 どちらかが先に欠けるのを恐れているような。 それは百々のつまり、集大成の挙句にある情死のような。 その情操に堪え難く、榎木津が怒りも露に呟いた。 「あれではどうにもならないではないか! …っは、いや助かっているからいいのか?! いやそう言う 問題ではない。第一…」 透き通る、ビスクドールの目。 木場はひとり問答する榎木津の瞳をじっと見つめる。 どうも気に喰わぬ事があったのだが、それに関する事でまたも榎木津にとっては理不尽極まりない思い をし、そのくせ結果的にはよい結果で榎木津自身、納得しているようで納得していないのが現状らしい。 「愛おしい者の為に全てを投げ出すことなんて断じて僕は理解できないぞ! 互いが互いを守る為には命 が必要だろう!」 死んでしまえば確かに、それは必要ないかもしれないが。 だったら、百々のつまり愛とは何なのだ? 「そうだ、一体なんだというのだ?」 愛しく思うものを己の傍らにおき、互いに愛を交わし、育んで。 それを奇麗事とは言わせない。 「熱いなぁ……エノさんは」 木場がぽつりと呟いた。 榎木津はその呟きに我を取り戻す。 「何が熱いというのだ? お前への愛なら富士の御山が爆発し流れ出るその溶岩の熱さよりも熱く、溢れる ほど込上げているが」 木場はその一言を聞かない振りして言の葉の先を続けた。 「必要愛と尊厳愛、そのどれもが必然でそして人という生きものの中に深く根付いているんじゃねぇのか?」 何があったかは知らないが、自分の愛の物差しで人の愛の大きさを計ってはいけない。 同じくしてそれを判断してはいけない。 「エノさんは愛を信じる事が出来るから、人としての情を信じる事を一として考えるからそう思っちまうの かも知れねぇがな」 それ自体は間違いではない。 間違いではないが、それが正論とも言えない。 今自分が伝えようとしている、輪郭がはっきりとすることのないこの気持ちを幾らでもいい、ほんの米粒程 度だっていい、理解してくれ。 「愛の形は人それぞれだから」 木場のその一言に、榎木津の目の人形らしさが消えた。 木場を見て、暖かい笑みを称えるその眼差し。 「まあ、豆腐男がそう言うなれば…な」 榎木津は少し瞳を伏せた。 真っ直ぐに見れば伝わる、嘘偽りのない、この男の中にある実直なまでもの意思。 実直に、正直に自分自身を受けいれる事が出来るその精神。 時に無骨に、時に何気に。 「そうか、それはよかった。探偵先生は……ちゃんとわかってると思うがな」 冗談めかしにそう言うと、木場は灰皿の横に置いておいた煙草に手をかけ口に咥えた。 榎木津は木場が咥えている煙草を取り上げる。 「豆腐男、恋愛にはからきしオクテだがちゃんと大切なところは押さえているな」 その言葉に、木場は照れくさそうに笑みを浮かべた。 互いだけに存在する、僅かなつながりを、僅かな意思疎通を。 互いである事に知る喜び。 -おしまい- 加筆修正 2007.7.20 |
無真の後話。 考えてみたらコレがはじめてこのコンテンツでUPする榎木場話だと気がついて考えた… 色気ゼロで御座います。 次の榎木場こそは何だか色の付くSSを! ココに約束しましょう。 果たして書けるのか? リミッターをカットする事からはじめましょう! ってね。 |