花火







 カラコロ軽快に聞こえる下駄の音。

 行き交う人々の笑い声とかけ声。

 団扇を片手に川辺独特の湿気を含んだ風を涼と扇ぐ人々。

 この花火が戦没者の供養の為に行われているという事など、今の子供たちは知る術もないかも知れない。

 夜空に大きく花開き、一瞬にして散りゆく花火の火の粉を、関口は考え深げに見上げた。

 火の粉は一瞬だけ人々の表情を浮かび上がらせ散りゆく。

 花火の上がる合間の静けさが嫌いだ。

 胸の高鳴りなんていうものは子供の頃に、どこかに置いて来てしまったらしい。

 この年にもなると風情は理解できるものの、胸を高鳴るドキドキ感よりも、終った後の物悲しさの方が

勝ってしまう。





 妻に無理やり着せられた浴衣に少し窮屈な思いをしながら、下駄の音をカラコロさせている。

 その上この雑踏で妻とはぐれてしまい、関口は大きな溜息をつく。

 この雑踏では妻を探し出すことなど到底無理。

 その表情は置いてきぼりを食らった子供のような表情で、傍から見れば何とも情けのない表情である。

 だから嫌だと言ったんだ、人の多い場所に出かけるのは……

 関口は心の中で今日付いた溜息の中で一番大きな溜息を落とした。

 花火の音が遠くから耳鳴りのように入り込む。

 どーん、

 どーん、

 ぱらぱらぱらぱら、

 その音までもがあの頃を思い出させる。

 戦闘機の飛び交う空、弾の発砲される音。

 いけない、こんな所にいては余計に気が滅入ってしまう。

 雪絵には悪いが先に家に帰っていよう。

 関口は花火に背を向け早足で歩き始めた。

 足早に人込みの中を抜け出そうと下を向いたまま、人にぶつかっても人込みの愛嬌で軽く頭を下げる会釈

をするだけだ。

 本当ならこの音に耳も塞ぎたいくらいだ。

 大の大人が花火の音に怯えるなんて。

 なんだか情けない気もするが…

 どんっ! と今までの誰よりも思い切りよく人にぶつかり、関口は慄いた。

 流石にこれでは顔を上げて詫びねばなるまい。

 ふと、目線から面を上げる。

「申し訳…」

「関口君、幾ら急ぎとは言え前ぐらいは見て歩くものだよ」

 芥川の幽霊、その言葉が添う男は間髪いれずに言う。

「京極、堂?」

 関口は驚きのあまり目を見開く。

 何時もの彼とは違うその様相。

 今日の彼に限ってだろうが『芥川の幽霊』という注釈は却下だ。

 闇夜に溶け込むような藍抜きの瀧縞の浴衣を紫の兵児帯で粋に結び留め、その手には細かな透かし絵の切り

込まれた団扇が持たれている。

 芥川の幽霊はこんな格好をしても粋には見えないだろう。

「どうしたんだね、関口君。何を驚いて……?」

 京極堂は手に持つ団扇を数回扇いで関口に風を送った。

「いや、あの……」

 関口は口篭る。

 着流し以外の京極堂の姿を見たのは、実に何年ぶりだろう。

 何時も趣向のいい着流しを粋に着流す京極堂が、今日は一段と粋な浴衣姿で目の前にいるのである。

「珍しいじゃないか、浴衣なんて」

「花火見物に行くのに着流しでは暑いだろう」

 そう言って然もありなんと関口の方を見つめた。

 何時もは大概どんな時でも洋装派である関口が浴衣を着込んでいるのである。

 京極堂は己の形をどう見られるよりも関口の形の方に驚いた。

「素敵な浴衣じゃないか」

「あ、ああ。これは雪絵が着ろと……」

 関口はまだ、見とれている。

 本人はその事に気が付いてはいないだろうが、粋な浴衣姿の京極堂に見とれているのである。

「越後上布か、いい浴衣だね」

 そう言いながら関口の袖をくいっと引っ張る。

 白い麻地に細かに織り込まれた飛白柄は、越後上布でも最も好まれる夏の柄だ。

「ああ、そういう生地なのか……知らなかったよ」

 関口は何気に振舞われる京極堂の行動に、心臓をバク付かせる。

「君の細君はかなり奮発したようだね、これは凄くよい生地なのだよ。大変手間のかかる生地でね、飛白をつけ

るときは糸でさらしてから染める」

 それを着こなす関口は、着物の着方をここ数年で忘れてしまったのか、汗や着方でかなりよれよれになっている。

「麻の生地だからね、少し皺になりやすいが、夏の涼を味わうにはいいものさ」

 京極堂は関口の袖を離すと今度はその手を握り締めた。

「迷子にならぬよう、駅まで送ろう」

 そこまで迷う筈もないのに、京極堂はそう言うと稀な笑顔を垣間見せた。

「え、あの」

 その笑顔に狼狽する関口は京極堂にされるがままに歩き出した。

 ちょっと恥ずかしいぞ、いい年こいた男同士がこの雑踏の中手を繋いで歩くのは。

 そう思いながらも、皆は上を見上げているから手元を気にするものなどいやしない。

 夏夜の蒸し暑さと、人々の熱気。

 関口は僅かに上気した表情を浮かべ、そっと吐息を吐く。

 安堵の吐息だ。

 心臓が高鳴る。

 どーん、

 どーん、

 ぱらぱらぱらぱら…

 胸が高鳴る。

 先ほどの怖さはもうない。

 丁度いい按配で握られた掌。

 この高鳴りが、伝わらなければいいけれど。

 ――――――いや、伝われ。

 そして僕に振り返れ。

 関口はそんな空想を思い浮かべながら次々と上がる花火の音を聞き入る。

 京極堂がふと振り返った。

 どーん、

 と、関口の背に一番大きな花火が上がった。

 ぱらぱらぱらぱら、

 花火の散る音に関口も肩越しに後ろを振り返る。

 京極堂は大きな花火の余韻から目を反らし、関口を見つめた。

 白い上布から覗く、首筋や腕。

 己の鼓動が高鳴るのが分かる。

「ああ、終わりだね」

 関口はそう言いながら京極堂に振り返る。

 京極堂は少しだけ笑んだ。

「そうだな」

 京極堂こそ見惚れたのだ。

 白い上布を纏い、花火舞い上がる夜空にその表情を火照らす関口に。

 繋ぐ手の力を込める。

「花火ってさ、終るとなんだか物悲しいよね」

 関口はそう言って儚く微笑んだ。

 花火を見ながら思い出す思い出は沢山ある。

 いい思い出も、いやな思い出も。

 その音に手繰り寄せられる記憶の中に、必ずある思い。

「学生時代もさ、こうやってみんなと花火を見たよね」

 関口の言葉に何も受け答えが出来ぬほど。

 言葉よりも明確にその意思を伝える方法として、京極堂はゆっくりと関口の手を自分の元に引き寄せた。

「ああ、そうだったな」

 過去の感傷に浸る思いなど、生憎と自分は持ち合わせてはいないが。

 夏の宵闇には中に閉じ込められた己を見出す、そんな風情があるのかもしれない。

「結局、あれから随分と遠くまで来たけど」

 関口は京極堂の肩越しに額を寄せる。

 互いの胸の高鳴りに、二人は気がついた。

 表情を変えない京極堂に、少しだけ照れたように関口が笑った。

 夏の夜に高鳴る鼓動は今も止まない。

 繋ぐ手をそっと離して二人は付かず離れずの距離を保つ。

 伝わる鼓動を僅かに感じながら。

 その距離で。






  -了-




 加筆修正 2007.7.20









 某所でキリバン申告5555Hitを受け、海月様のリクエストで書きました「花火」ネタ。

 出きるだけ花火の後の静けさを、寂しくない方向へ向けたかったのですが果たして??

 そしてまたも有り得ないシリーズですね。