-石榴- |
その毛並みは玉の如く、艶やかな光を放つ。 正に、黒い石を濡らしたような艶。 中国の金華山で獲れたといわれる猫、石榴。 それは主の戯言だろうが、猫という生き物は時折、人間の理解の範疇を超えた行動をなすときがある。 石榴はその通る声で主に挨拶をした。 鳴声を上げて、傍らにその身を沈める。 本ばかり読んでいる書痴の主を、私はいたく気に入っている。 気ままに傍らにいても私の思いに反する事を、この主は絶対にしない。 だが時折、主を訪ねてやって来る、茶色い髪の人形みたいな男は、この私を見ると何かと構おうとその粗野な手を伸 ばす。 はっきり言って迷惑なので、爪を立てようとするが、否。 人間の方が一枚上回る時があり、とても悔しい思いもするのだ。 いや、茶色い髪の男の動きは、剃刀のような鋭さを持っている……。 即行でこの私を抱え込み、私の腹を見たり、耳の中を見たり、牙を向く私の顎をぎゅうっと押さえてこう言う。 「おお! 石榴! お前に虫歯はないぞ! よかったなぁ! 他にも問題はない、健康そのものだ、あははははは!!」 虫歯が何であるか知らない私だが、私にとっては無理やり口内を開かれた狼藉は許しがたく、その粗野な手に爪の仇 を返す事を忘れない。 当然の報い。 己の身分を知るがいい。 欠伸をして少しだけその身を伸ばした石榴の背中を、主が撫でた。 本を読みながらではあるが優しく、ゆったりと、蕩ける様に撫でてくれる。 私は気持ちよくなって喉を鳴らす。 なんて気持ちのいい、昼下がり。 ところが。 主の下を訪ねる人は、あの茶色い男だけではないのだ。 豆腐のように真四角の顔をした、無粋な男。 私を見かけると、怖い顔に雪崩を起こして微笑んでくる。 おいでおいでと手招きするが、全く、気の利かない無粋な男だこと。 お前からこちらに参ればいいだろう。 無粋な人間が多い世の中になった、猫を何と心得る。 鼻にもかけず、私は横たわる。 真四角の顔をした男は残念そうに苦笑すると、それでも自分からこちらに歩み寄ってきて、その手に持っていた煮干 を私の前に差し出した。 献上品か。 上物ではないが、まあ…いいだろう。 特別に毒見を遣わさずに食してやろう。 上物ではないが中々の味だ。 そこに、何かと言えばおどおど、いつも下を向いている男がやってきた。 顔はそうだな……動物に例えるなら、私たち猫のように高貴あふれる顔立ちではない。 人間に近い動物の顔だ。 そう、その身を誇りまみれにし、この家の納戸にひっそりと佇む、あれだ。 そう、あの猿だ。 猿はちらりと私を覗くと遠慮がちに笑った。 この男、私に触れる勇気など毛頭ない。 腑抜け腰抜けの猿だ。 しかし、その無粋も不躾も狼藉もしない猿を、私はいたく気に入っている。 主の次ぐらいには、いい雰囲気を持っている。 無理に、私に近付かない、触らない。 ところが私が窓や襖を開けて欲しいと思っていると、そっと傍らにやって来て、そっと窓や襖を開けてくれる。 そして「気をつけて行っておいで」と微笑みかけるのだ。 ふん、猿のくせに気が利くのだな。 我が物顔でその前を通り過ぎると、猿はまた遠慮がちに微笑んだ。 ふん。 まあまあの気遣い、お気に入りに入れてやっても構わぬだろうと、近頃になってお気に入りに昇格した。 だから私は猿の元に歩み寄り、一声かける。 大儀である。 猿は微笑むと、主のいるところに行ってしまう。 私は不本意ながらその後ろに付いて、主の部屋に入ろうとすると… 「石榴、お前はあちらに行っていろ」 主の厳命を食らうのだ。 猿は遠慮がちに微笑むと「ごめんよ」と言う。 主は仏頂面に磨きをかけて私を睨む。 むっ! この私を無碍に扱うとは!! 飼い主と言えど何と不当な!! 暫くすると襖越しに主の声とは思わぬ優しい声が聞こえる。 愉快に談笑する、優しい声。 とても通る声だが、あの猿と一緒にいる時はやたらとその声に険がない。 愉快そうに、そして優しく話しかける。 足音もなく、お盆を手にした主の妻が私の傍らに立った。 私を優しくひと撫でしながら主の妻が呟いた。 「仲間はずれにされてしまったのね」 困った表情なのか、仕方がないといった表情なのか、私には皆目見当がつかない。 ただ、主の妻はあのひと撫でと、その声色と同じくらいに、そんな私を見て優しく微笑むのだ。 私たち猫はあまり人間の目を見ることを好まないのだが、この微笑をこの主の妻が浮かべたとき、私は猫だが、 その目を見つめるようにしている。 主の妻はそっと、私のことを撫でた。 すっと、襖を引くと三つ指を付いて頭を下げる。 その横に控える私。 「いらっしゃいまし、関口さん」 面を上げた主の妻は、居間にいる二人を見ても、優しく微笑むだけだった。 それを見て、人間は己の欲求に正直に生きられぬ生きものなのだと、私は漠然と思った。 猫の人生と言うのは、すなわち今の私の人生だが、大変気ままなものである。 主に付くのも家に付くのも放浪するのも、一興なのだ。 自由気ままに、好きなよう、好むがままに生きていくのだ。 好まざることにその身を委ねることを考える、その考えにすら、私たち猫は行きつかない。 私は主たちのいる居間にそっと入り込むと、窓辺にこの身を横たえた。 一瞬主の視線を感じたが、気になど留めぬ。 ああ、猫な己。 気ままな己。 しかしながら絶え間なく注がれる無粋な視線に居心地の悪さを感じ、そのまま居間を出て、店先の本の上に改めて この身を横たえた。 まったく、あの主は。 わがままを眼力で申すにも程がある。 まあよい。 どれ、一眠り一眠り…。 微動だにしない、その眠り。 熟睡した、何だか疲れた……と言うのが私の体の本音だろう。 主のようにか細い神経では、このようなところで居眠りなど出来ぬであろう。 極楽極楽、ここは静かでいいものだ。 骨休めの看板を無視して、そっと店先をくぐる男がいた。 黒い石を濡らしたような艶を放ち。 男は捜し求めていた本よりも、そこに横たえ、微動だにせず眠る、石榴に心引かれたようだ。 その毛並みは玉の光を放つ。 中国の金華山で獲れたといわれる猫、石榴。 事実は最中ではないが、不思議な猫だ。 「……これは置物かな?」 男は小さな声で囁いた。 そのまま石榴に手をかけて、その身に抱える。 「うわぁっ!!」 ぐにゃりと、柔らかい感触を知ると同時に、覚醒した石榴の一撃を食らう男。 「…な、な、なっ生もの?!」 男は腰を抜かすほど驚きながら、店を駆け足で後にした。 音も立てずに地面に着地した石榴は、ふん、と横を向く。 結局、そのまま居間へとその足を進める石榴は、襖の前でひと鳴きした。 「なんだい? 入れてほしいのかい?」 遠慮がちに笑う猿、こと関口が、その襖をそっと引いてくれた。 石榴は関口の足元に擦り寄ると、関口を座らせて、その膝の上に陣取る。 そして大きな欠伸をして、関口の足に僅かに爪を立てる。 「撫でてほしいのかい?」 関口が優しく笑う。 勿論そういうことだ。 ゆっくりと置かれた手が優しく背中を撫で上げてくれる。 石榴は喉を鳴らして上機嫌だ。 「まったく、君は京極堂とよく似ているね」 関口はそう言うと、石榴ではなく石榴の主、京極堂を見つめた。 「…ふん」 小さなため息を京極堂は洩らす。 関口によって撫で上げられるその毛並みは、玉の光を放つ。 黒い石を濡らしたような艶、中国の金華山で獲れたといわれる猫、石榴。 それは主の戯言だろうが、猫という生き物は時折、人間の理解の範疇を超えた行動をなすときがある。 そう、極稀に。 −了− 加筆修正 2007.7.20 |
-石榴- 良くありがちな話なのですが、動物と一緒に居ると時々こう言う想像をしてしまう著者の妄想です。 ところで石榴の性別って…?? |