夏の盛りの日差しを浴びて 濃紫に染まりし桑の実は 熟れてたわわになお甘く 誰が爪ぞ染めるのか ◆紅の甘さ◆ |
深い緑の葉が幾重にも広がり小さな緑陰をつくりだしている。 関口は一休みするわけでもなく、木陰の涼しげな空気に惹かれてその陰に身を寄せた。 日差しの強さに辟易しながら空を見上げると濃紫の実がたわわに実っている。 葉陰からのぞくその実を摘んで口に含むと、野趣溢れる甘みが口の中いっぱいにひろがる。 その甘さにほう、と息を吐く。 子供のころに食べた甘さと変わらない。 手の届かない所にほど実がよくなっていた。 背伸びして枝を撓め、その黒に近い濃紫の実を摘めば、指先も衣服も、その実を味わう舌もすべてが甘い赤さに染められた。 それは夏の暑さの中で懐かしく思い出せる記憶だった。 子供のように桑の実を両手いっぱいに摘み、関口は京極堂へと急いだ。 相変わらず骨休みの札が掲げられている。 「やる気はあるのかねぇ?」 まあ、やる気があれば三流文士の相手などしてくれなくなるだろうから、都合がいいといえば都合がいいのだが。 「京極堂、邪魔するよ」 「入り込んでおいて邪魔するよもないものだがね」 奥まった部屋はひんやりと埃くさい。 その部屋で読んでいた本からちらりとだけ視線を関口に向けた京極堂は、開口一番ちくりと刺した。 「・・・・ん、京極堂、これ」 いささかの痛みには慣れもした関口は、手に持っていた桑の実を京極堂に突きだした。 「これは桑の実だね。君の手土産にしてはいいものだが・・・手を洗ってきたまえよ。関口君」 不器用な手土産の差し出しかたに苦く笑った京極堂が、桑の実をちり紙で包み込むように引き取った。 「そうさせてもらうよ」 見れば慎重に持っていたつもりでも潰してしまった実が、掌や指先を紅に染めていた。 その色を落としながら、本を扱うのに桑の実はいけなかっただろうかとちらとそんな思考がよぎったが、まあ文句はなかったのだからそれで良いだろうと思うことにした。 部屋にもどると京極堂がちり紙の上に桑の実を几帳面にも盛り終えたところだった。 「また懐かしいものを採ってきたね」 「うん」 「手土産なのに君は道すがら食べてきたんだろう?」 「え・・・どうして、わかったんだい?」 確かに誘惑に負けて3粒ほど食してしまったが、証拠になりそうなものは何もないと不思議そうに聞き返した関口に京極堂は舌がねと笑った。 「指先と同じ色をしているよ」 指摘されて鏡もないのに指先を見ながら舌を出してみる。 おそらくこの濃紫色の宝石に染められて、美しい紅へと染まっているのだろう。 間抜けな顔に悪戯心でも出したのか、京極堂の人差し指と中指がその舌先をつまんだ。 「・・・・・・?」 舌をつままれたまま固まった関口を見て京極堂がにやりと笑った。 舌を放した指が濃紫色の実をつまんで関口の口元に運ぶ。 それはさながら親鳥が雛にえさを運ぶようでいて、似て非なるものだった。 うっかりと口を開けてしまいそうになった関口が正気づいて真一文字に口を閉じた。 それを見て京極堂は不機嫌になるどころかにぃっと凶悪に口の端をつりあげた。 「紅をさすのも一興じゃないか」 そのまま桑の実を押しつけて、潰れる感触を楽しむように唇を辿った指先は紅に染まっていた。 指先でそうなのだから唇はさぞかし赤く色づいて誘うように濡れているのだろうと関口は他人事のように思った。 視界いっぱいの京極堂の顔が考えることを麻痺させていくようだ。 紅を写しとるかのようになぞらえて離れた京極堂のそれは仄かに染まり、関口の顔や耳、はては首筋から全身を紅に染め上げるのに十分だった。 口の中に残る甘さが、桑の実のそれなのか京極堂のそれなのか判断できずに困りにてた関口は、ただただ紅に染まり続けた。 おわり |
関口が桑の実を見ては赤面する病を発症したのは書くまでもないことであり、 またそれを見たいがために桑の実を山盛りにして来訪を待つ京極堂の姿があったかどうかは、 皆さんのご想像にお任せいたしましょう。 では、これにて失礼を。 海月の寝床管理人 海月 拝 京極堂シリーズコンテンツ立ち上げのお祝いにと、素敵なSSを戴くことができまして大変光栄です。 ありがとう御座います。 管理人一同、厚く御礼申し上げます。 |