夏風邪というふもの





夢見が良かったのか妙に気恥ずかしいような、優しい気持ちで目が覚めるとそこには不機嫌そうな仏頂面があった。
ああ京極堂かと再び眠りにつこうとして凍りつく。
何で眠っているんだ!?
だらだらと冷や汗をかきながら必死で糸口をさぐって、辿りついた僕は絶対零度で凍りついた。
・・・・・・そうだった。
都合良く気絶することも忘れることもできずに煩悶した。


「夏風邪は馬鹿がひくと言うね」
そう言われたのは数日前のことだったというのに、僕は風邪をひいてしまった。
それも夏風邪と言うべきこの時期に。
もしかすると呪いでもかけたんじゃないのかと熱に魘された僕の脳みそは、とりとめのない発想を多々として生む。
「まあ僕がひくなら納得もいくんだよなぁ」
掠れた声はまるで自分ではない別の誰かのようだ。
ああ、これはもしかして夢なのだろうか?
夢ならばこの四肢の痺れるようなもどかしさも納得できよう。
京極堂の思い通りになってしまったようで少しだけ悔しいと思う気持ちも少しはおさまるだろうに。
「大丈夫かね」
ひんやりとした掌が僕の熱を吸い取っていく感覚に、とりとめのない思考は一時休止した。
「京極堂じゃないか」
「それ以外に何に見えるんだ」
呆れたように言い放つ京極堂は、呪いをかけたことすら忘れているようだ。
いや、その前に京極堂がこんなにはやく見舞いに来るものだろうか?
答えは否である。
「ああ、じゃあ夢の続きか」
「君は私を夢だと?」
「夢だよぅ。心配そうな眼差しで、優しい指で張り付いた髪をかき上げてくれるなんて。京極堂ならしないものねぇ」
ぴくりと眉が不機嫌にひきつる京極堂に、僕はへらへらと笑いながら掠れた言葉を紡ぐ。
そうして紡いだ言葉にやり込められたように黙った京極堂を見て、ほらやっぱり夢なんだと確信した。
僕如きの言葉で京極堂が黙るはずがないのだ。
「関口君」
「なんだい?」
「君は僕が一度も心配そうな眼差しも、汗で張り付いた君の髪をかき上げることをしなかったと言うんだね」
「だって記憶にないんだからしょうがないじゃないかぁ」
酔っぱらいよりもたちの悪い風邪の熱は今や全身に広がり、普段なら言えそうにないことも言えそうな勢いをつけている。
「それは君が意識を飛ばしているからだろう」
「意識なんて飛ばしてないよぅ」
けらけらと笑い声をあげる僕をふむと眺めた京極堂がにやりと笑った。
「風邪をうつしてもらおうか」
「馬鹿しかひかないんだよぉ夏風邪は」
だから僕がひいているんだとますます笑う僕に京極堂がいやに優しげな微笑みというものを向けた。
見てはならないものを見てしまったような恐ろしい感覚に思わず笑いが引っ込んだ。
「まあ、うつらないかもしれないが試してみる価値はあるだろう」
微笑みが企みに移行する様はいっそ見事だったように思う。


抱きしめられる体が冷たくて、熱を孕んだ僕は自然と擦りよっていく。
もっと、もっと。
この熱を、このもどかしさを自分一人だけではなく共有したい。
熱すらないかと疑う男を同じ体温まで引き上げることができたなら。
「きょう・・く・どぉ?」
何かを囁かれたように思えて、途切れがちに熱の籠もった吐息で名を呼ぶ。
見上げなくても京極堂が苦笑しているのがわかる。
くつくつと笑いをこらえるように筋肉が動くのが肌を通して伝わってくる。
「思い出しはしないだろうね」
その自嘲が閃く瞳に僕はすがりつく。
「夢ではない証を」
「証を?」
おどけるように言葉尻を繰り返した京極堂に頷きと吐息で答える。
「君を気遣うように覗き込んで?」

「汗で張り付いた髪を優しくかき上げて?」

「証を刻むのかい?」

返す言葉を口にすらできぬように翻弄する熱にああと息をつく。
同じ熱に目眩を感じながら、血が凄まじい勢いで全身を駆けめぐる音を聞いた。


目覚めたときに僕は一人布団に眠っていた。
それが当然のことなのだけれど、一人でいることに奇妙な違和感を感じた。
熱は何処へ行った?
気怠さに微睡むように再び眠りにつく僕は、目覚めたときに君の体温を探すのだろうか?
・・・別に今でもかまわないじゃないか。
未だ夏風邪の熱は僕を支配している。
苦笑しながら僕は京極堂を目指す。
坂を上りきるころにはいつにもまして息が上がっていた。
もう少しだと自分に言い聞かせていると軽やかな声がかかる。
「あら、関口さんじゃありませんか」
「あ、千鶴子さん」
「よかったわ。ちょっと買い物に出掛けなくちゃいけなくて」
なぜそんなことを言うのだろうと訝しむ僕を見て千鶴子さんはくすくすと笑った。
「いえね、うちのお地蔵さん風邪をひいたらしくて。鬼の霍乱ですわね」
「あ、うつして」
申し訳なさように言う僕を微笑ましげに眺めて、千鶴子さんは留守番をお願いしますねと坂を下りていった。
恐る恐る京極堂の自室へ入った僕は、寝入っているのか目をつぶって動かない京極堂を覗き込んだ。
「まったく」
唇が掠れた声を上げたかと思うと同時に瞳がカッと開かれた。
「うわっ」
「人が寝込んでいるのを見て健康である自分を喜ぶのが君にとっての見舞いなのか」
毒舌を疲労するのもおっくうなのかすぐに目を閉じた京極堂は、そのまま眠りの淵に沈んだようだ。
「ね、寝言なわけないよね?」
目を開けたんだしと自分に言い聞かせながら、今は静かに眠る京極堂を眺める。
看病はされることはあってもすることはないと思っていたせいか奇妙でやけに気恥ずかしい。
眠っている姿もいい男だなんて反則じゃないか。
とりとめのないことを考えて枕元にある氷嚢をかえてみる。
氷嚢を置く前に濡れた手ぬぐいで額を拭く。
明らかにされた生え際にそっと口づけをおくる。
「覚えているよ」
証を。
忘れてはいないよ。
氷嚢を口づけの跡を隠すように置く。
くらくらと揺れる視界に自分の熱もまたぶり返したことを知る。
「馬鹿なんだから二度も三度もひきこむ・・・のだろう?」
京極堂の口まねをして全然似ていないことが笑いのツボにはまった僕は、くすくすと笑いながら京極堂の布団に倒れ込んだ。


共有した熱を僕は覚えている。


-終わり-




海月様よりの頂き第2段。
いつもいつもありがとう御座います!
本当に海月様のお書きになるお話しはストイックで、読んでいて「ほぅ…」といたします。
夏風はバカがひく…と申しますが、こんな風邪なら私もひいてみたいよ、と一人悲しく突っ込みをいれる
管理人の姿がここにあるのでした。