風車のまわる午後









「眠りの中で見る夢もございましょう。ですが、目覚めてみる夢もございます」

 夢売りはどちらの夢を売りましょうと言った。

 彼は少しだけ考えて答えた。

「眠りの夢は、寂しさを誤魔化すだけなのかい?目覚めの夢は、なにかを掴みとるためにだけに見るのかい?

それなら、僕はどちらの夢もいらないよ」

「おかしなことを言いなさいますな」

「おかしいかい?僕はどちらかを選択するほど行動派ではなくてね」

 彼はそう言って夢売りから離れた。

「では、あなた様はいつ夢を見るのですか?」

 夢売りの問いに、彼は片手で天をもう片方で地を指さした。

「天と地の狭間で、もうずっと夢を見ているよ」





 中途半端な終わり方だと非難も浴びたが、不思議な世界だという声もあった。

 〆切という枷から解き放たれてどこに行くかというと、次の話の種になるようなものはないかと京極堂へ向

かう自分に少しだけ嬉しさを感じながら坂を登りきる。





 勝手知ったる他人の家と骨休みの札を掲げる京極堂に入りこむ。

 見慣れた眉間の皺が見える。

 汗を拭きながら、少しでも涼しい場所を探し求めて窓辺に近づくと視覚に直接入りこんでくる紫があった。

「あの風車のような花は何だい?」

 尋ねた僕に京極堂は実に素っ気なく答えた。

「そのままだ」

「そのままだ?変な名前の花なんだね」

 僕の呟きに京極堂の本を捲っていた指先が引きつるように止まる。

「君は馬鹿か?」

「花の名前を聞いただけなのに馬鹿とはなんだい」

「君はあの花の名前を聞く前に何と言ったんだ?」

「え、あの風車のような花は何だいって」

「それでそのままだと言ったんだ。何故そのままだが花の名前になるんだ」

 心底呆れたように言うと京極堂はようやく僕に視線を向けた。

「え・・・・・ってことは、風車なのかい?」

「日本自生のものだからね」

「え?」

「総称はクレマチス。中国自生なら鉄線。日本自生なら風車。他国ものの園芸種を含めると約200種以上の

花で、大概は落葉蔓性のものだ」

「はぁ・・・綺麗なものは綺麗で名前なんかどうだっていいんじゃないか」

「頭で理解するよりも心で理解するほうがいいとは一概には言えないが、その意見も考慮に含めておくよ」

 苦笑いしながら出涸らしの茶を僕の目の前に押しやった京極堂は、小気味がいい音で首をならした。

 目に飛び込んでくる鮮やかな紫の花弁は、まるで天鵞絨のように陽に輝いている。

 ため息を飲み込んで見つめていると頭の片隅に何かがよぎる。

 もう少しよく見ようと窓に近づくと外と同じような日差しが照りつける。

 こんな雰囲気を知っている。

 既視感だろうか?

「どうでもいいが、日射病になる前に日陰に避難してくれよ」

「あ、うん」

 何だろう?

 この色に覚えがあるのか。それとも景色なのだろうか。

「世語りに人や伝えむたぐひなく憂き身をさめぬ夢になしても・・・」

 ふと浮かんだ歌が唇から零れた。

 学生時代、僕は源氏物語の藤壺が詠んだこの歌が怖かった。

 何が怖いと言い表せない強迫観念にも似た独特の恐怖。

 想いは消せない。

 どんなことをしても消せはしないのだ。

 意識が吸い込まれていくような感覚に目覚めると、目の前には京極堂の仏頂面が拡大版で見えた。

「あまりに予想通りの展開にさしもの私も目眩がするよ」

 ああ、京極堂だ。

「君かぁ」

「一応冷やしたが、まだ熱が落ち着いていなかったか」

 ひんやりとした掌が額に触れてくる。

 柔軟に全てを網羅し、その上で咲いている京極堂を思い起こさせる花に僕は無意識に惹かれたのだ。

 日射病になるほど考えていたのかと思えば気恥ずかしさに身悶える。

「彼岸に往ったわけではない・・・ようだね」

 何がきっかけで彼岸に往くのかわからない僕を、学生時代から世話してくれている京極堂は少しだけ安堵した

表情を窺わせた。

「君をひきとめるのは私のエゴだ」

 突然の独白に僕はまじまじと京極堂の顔を見つめた。

「私は楽になりたければ人を捨てればいいと言ったことがあったね。とても簡単なことだ。人であり続けるより

も」

 何故その話題を口にしているのかわからないながらも、京極堂の言葉を一言も聞き漏らさないようにと耳を傾

けた。
「それでも私は君を人として縛り付けるよ。都合のいい夢など見させはしない。彼岸などに往かせはしない。私の

正義で君を傷つけようと」

 これは夏の陽炎が映し出した幻だろうか?

 蜃気楼のように見えるだけのものだろうか?

 視界の端に僕の話が載った本が映った。

 彼は僕の気がつかない深層を読みとって心配してくれたのだろう。

 そして、僕が口にした歌の意味を。

 夢に溺れ、夢に侵食された私達の愛を人は物語として、語り伝えるのでしょうか。

 想いを永久にさめない夢に変えたとしても。

 あの歌は恋の終焉を歌い、帝の妻にも源氏の恋人にもなれずに心を乱し揺れ動き、後悔に身を沈めた藤壺が

源氏に返した歌。

 ああ、僕は君が差し伸べてくれる手をいらないと言ったわけじゃない。

 いる、いらないという単純なことではないんだ。

 僕は言葉を選びながら説明を試みた。

「僕はずっと夢の中にいる。生きていること自体が夢のようだと言えば、君は理解してくれるかい?」

「私は夢の中の登場人物だと言うのか?」

「違うよ。僕にとっては現の夢も夢幻の夢も同じなんだ。生きていること、君の傍らにいること、こうやって

言葉を交わすこと全てが叶えられていく夢なんだ」

 僕もこうだと言えるほど確固たるものを見つけたわけではないけれど。

「少しずつ叶えていく、少しずつ形を作り上げていく夢の中に僕は生きている」

「その中に私は・・・いや」

 京極堂が口籠もって視線を逸らした。

「いつだって僕を現に抱きしめるのはこの腕だよ。僕の夢を形作るのは・・・」

 京極堂の指先をそっと押し抱く。

「こうやって君の温もりを感じることも叶えられていく夢。夢幻の中で見つめる彼岸も僕の夢の一部。夢を見

ない日はないよ」

 そう、君を思わない時間はないんだ。

 想いを夢にして否定するのではなく、現も夢幻も僕だと認めてしまえば呼吸が楽になる。

「私は傲慢だね」

 京極堂は唇を歪めながら僕を引き寄せた。

「君を傷つけたくないと思いながら一番傷つけている」

「君の言うように言うならば、これが僕のエゴだよ。僕に君を縛り付けてる」

「それさえも叶えていく夢かい?」

「・・・うん、そうだね」

 僕らは互いに互いをつかまえて現に眠る胎児だ。

 共有する夢は見ずとも対に在る。

 夢と現が対であるように僕らはないものを補いながら夢を紡いでいる。

 現にあれと願うほど。

 夢幻でと想うほど。

 充たされる日を。





 窓の外には緩やかな夏の午後が拡がり、僕らの周りを狭くて無限の思いがたゆたうように揺らめいている。

 風もないのに風車がまわったような気がした。

 現を紡ぐ夢が揺らしていったのかもしれない。

 僕らは蔓を伸ばそう。

 そうして鮮やかな花を咲かせよう。

 歌のように哀しい夢を創りあげなくともよいのだ。

 成就の色が僕らを染め上げて、現と夢の境界を曖昧にしていった。










「海月の寝床」の海月様に管理人の知人がある歌を詠みました。

「コレで何か一本書いて下さい」

海月様は快くこの以来を引き受けて下さいました。

それとほぼ前後して、管理人の知人がやはり海月様に鉄線の花画像を贈りました。

何だか偶然が重なりいただいたお話に、管理人一同、顔を綻ばせております。

伸びゆく蔦が触れたものは何だったのか? 読後に広がる余韻が堪りません。

素敵なお話をありがとう御座いましたvv