約束の地




 木場は帰り着いた我が家の玄関を開けたがそのまま閉じた。
 今見たものは幻覚だ・・・そう言い聞かせる木場は傍目から見るとかなり哀愁を帯びていただろう。
 仕事疲れのせいで幻覚すら見るようになったかと黄昏れ、眠ればそれも治ると再び玄関を開けた。
 幻覚は先ほどと同じように大の字で眠っている。
 その大の字で眠る馬鹿の横にはどう見ても子犬がじゃれついている。
「礼二郎っ。起きやがれっ」
 人の留守宅に鍵もないのにどうやって上がりこんだとか、この子犬はどうしたんだとかいう考えや、その他諸々の感情の行き場を木場は拳に込めて榎木津に落とした。
「・・・・・ああ、帰ってきたのか」
「帰ってきたのかじゃねぇっ。なんだ、これは?」
 木場が子犬を指して問いただすと、榎木津は子犬を木場の目の高さまで抱き上げた。
「犬だ。しかも子犬だ」
「見りゃわかるっ。どうして、お前と子犬が俺の部屋にいるんだっ」
 ようやく痛みを感知しだした榎木津は、痛みに顔をしかめながらそれに答える。
「僕は僕の意志だな。こいつもこいつの意志だ」
「犬の意志だぁ?」
「来るかと言ったら段ボールから落っこちてやって来たんだ、こいつの意志だろ」
 子犬に賛同を求める榎木津に木場は目眩がしたような気がした。
「何でそんな顔をするんだ?」
 木場は、ため息をつくと榎木津に向き合った。
「署にな、届けられるこういう奴らは・・・首輪に名前があればいい。その首輪に住所が書き込まれてればもっといい。そうじゃねぇのは保健所送りだ。しばらくは署で面倒をみてはいるが、飼い主がわからなけりゃじきにそうなる」
 榎木津がその意味を理解して目を見開いた。
「届けられなければ生きていけるかもしれねぇ・・・そう思うことがたまにある。こいつらには罪はねぇのに。棒きれで叩かれりゃ痛いだろう。石を投げられりゃ血だって流れる。危ないからどうにかしてくれと言うけどな、反撃して何が悪いと俺は思うよ」
 木場は己の中で獣が咆吼するのを聞く。
 生きて何が悪い。
 本能に忠実なだけだ。
「木場シュウッ」
 内なる声を聞いたように榎木津が木場の肩を掴んだ。
「暴走はしねぇよ」
 木場は笑ってその手に自分の手を重ねた。
「俺は兵士であった自分で消すことはできない・・・。命を手にかけて生き延びた俺は生きて、1秒だって人より生きて笑って死んでやる」
 強い瞳に魅入られたように榎木津は木場を見つめた。
「一度戦場で生きた俺は戦場を求めて彷徨うだろう、生き続ける限りな。だが、俺は幸いなことに自分の戦場を見つけてる。死ぬまで兵士な自分自身も自覚できてる」
 言葉を切って木場は榎木津の瞳を真っ正面に見据えた。
「安らぎはきっと焦りになるだけだ」
「それが僕への答えか?」
 木場は不意に視線をそらせた。
「・・・それでもいいか。なあ、礼二郎?」
 お前の傍にいても許されるのか?
 木場の愁訴を榎木津は笑って木場ごと抱え込んだ。
「僕が安住の地と決めたのはここだからな」
 榎木津は木場の胸に掌をあてる。
 刻む鼓動を掌に感じながら、ちゃっかり押し倒す。
「おい」
 人が真面目に話しているのにと木場が抗議しようとする動きを封じて、榎木津は嬉しそうに服を剥がしていく。
「今なら弱っているんだ。つけ込みどころだろう?」
 優しい啄むような口吻に木場はくすぐったさを感じて身をよじる。
「馬鹿野郎」
 こうやってこの男は甘やかそうとする。
 甘やかされたいときに都合よく差し出された腕を掴みたくなる。
 木場は背を向けて逃れようとしたが、榎木津は包み込むように背中から抱きしめた。
「暑苦しいぞ」
「そうだな」
「離れろ」
「それはできない相談だ。僕と修ちゃんは離れられないようにできている」
「んなもん、誰が決めたっ」
「僕だ」
「・・・そうかい」
 呆れた脱力した木場は、嬉しそうに組み敷く榎木津に疑問をぶつける。
「傷跡のある体見て何が愉しいんだ?綺麗でも何でもねぇだろ」
「傷跡はもったいないが・・・いや、似合っているから許す。それに年輪みたいなものだろう。この傷一つ一つが木場シュウを創りあげてきたんだ」
 だから恥じるようなものは何もないし、僕は好きだと言われて木場の視線が照れくさそうに空を彷徨う。
「馬ぁ鹿」
 照れ隠しに馬鹿と繰り返す木場の唇を榎木津が塞いで、秘め事の気怠さがため息になって漂うまで二人の呼吸は重なり合ったままだった。


「こいつどうするんだ」
 放っておかれた子犬は脱ぎ捨てられた服の合間で暖をとりながら眠っていた。
「神の采配に期待してろ」
 榎木津の自信満々な答えに些か不安を感じながらも、こいつならどうにかしてくれると木場は眠りについた。
 人の温もりに慣れた気恥ずかしさに苦笑しながら。
 数日して子犬は引き取られていった。
 番犬にすると笑っていた老夫婦は、孫を見るように慈しみに満ちた瞳で子犬を連れて行った。
「サンダルの三枚おろしだけが残ったな」
 構えと暴れた子犬の名残りに木場がそう呟くと榎木津が後ろから抱き潰した。
「寂しいのか?」
「てめぇだけで手一杯だ」
「では、構え。神は膝枕を所望だ」
「調子にのんなっ」
 がこっ
 鈍い頭突きの音が響き渡った。
「・・・・・・お前、こんなに石頭だったか?」
「ふ、日頃の・・・鍛錬だ」
 ・・・・何をしているんだ、榎木津礼二郎。
 額を揃いで赤くして、京極堂を尋ねると京極堂は何も言わず口の端を歪め、その場にいた関口は心配して声をかけたため榎木津に八つ当たりの対象にされた。当たり前の日々が繰り返されていく。
 己の内の獣は時に咆吼するが、つきあう覚悟がある木場には戦友のようなもの。
 傷ついた獣が眠る深淵を静かに見下ろした。
 今は眠れ、穏やかに。
 とりあえず、悲鳴を上げて逃げまどう関口を助けておかないとあとが怖いと判断した木場は、榎木津に鉄拳を落とした。
「しつけはきちんとな」
 さも有りなんと京極堂が二度頷いた。





 こちらの話を持って匿名希望様が書いてく下さっていた「隠れんぼ」シリーズは完結だそうです。
 何度も無理なお願いを受け入れて頂けて、大変嬉しゅう御座いました((^^)(^^))
 このSSを頂きましたメールの最後には、
 「約束の地がお互いであればいいと思ったので、榎木津の本気を考えた木場の答え編でした」
 とのお言葉が添えられておりました。
 まったくうですね。